お昼に読むものではない

 

ぽつぽつツイートして間だけ抜かれて誤解されたりしたらいけない内容だと思ったので、短いけれどブログで。

 

推しがどこかで生きていてくれることって実はすごく幸せなのだなぁと今になって気付く。何を経てそう思ったかは私には語れるほどの知識がなくて失礼なことを言ってしまっては申し訳ないので想像にお任せしますが、なんだかそう思ってしまった。

 

昔から分かりきっていたことだし当たり前と言われれば当たり前なのですが、例えどんなに私が好きな子にお金を使ってその子にたくさん会いたくさん話をしたくさんのことを共有して少し近付けたように感じても、所詮「アイドルとヲタク」という距離に変わりはないじゃないですか。それが寂しいとかそんなことを言うつもりはないし、アイドルとヲタクの関係を徹底して保てる子が好きだから私は推しのことが好きなのだけど、でもそんなもんなんだよなぁとは思う。

例えば。私は推しの休業を公式の発表で知ったし、ただ楽しくいたい!というタイプなのもあってか推しから休業を感じ取ったこともなかったなぁと。でもメンバーやファンではない周りの人は彼女が休業するということを知っていたわけで。それは何も悪いことでは無いのだけど、やっぱり私が知るのは最後なんです。当たり前だけど。そう、当たり前ではあるのだけど。

 

乃木坂だけではなくジャニーズにも言える話…というかジャニーズの方が言える話ではあるけれど、今この瞬間、好きなアイドルがどうなっているかなんて分からなくて。今回色々とあったようにもしかしたらもう会えない存在になってしまうかもしれない。アイドルをやめる決心をしているかもしれない。週刊誌にすっぱ抜かれているかもしれない。悩んでいるかもしれない。困っているかもしれない。何も、私には分からないし、知るのはまだ先の話。

 

でもいいんだ〜だってヲタクだもんね。好きだからと言ってその子の苦しい部分まで背負う必要ないし、綺麗なところだけ受け取れればいいから。それこそ休業を決めるまでスムーズにいったわけではないだろうけど、そこまでの過程とかいいもん知らなくて。

ひめたん、休業前のインタビューで、「作り込んでいない本当の私も届く人には届くということにこの5年で気付けた」という話をしているんですけど、私は怖くて、アイドルを越えた部分を見るのが。というよりも、アイドルを越えた部分でも、本人が見せてくれているところを受け取るのはいいと思うのだけど、勝手にひめたんはこんな子でこんなことを思っていて…と私の中の中元日芽香像を作り込んでしまったらそれは怖い話だなと思っていて。

何の話か分からなくなってしまったけれど、アイドルも色々考えているし、見せられる部分は見せてくれているんだなぁってこのインタビュー見て思った。アイドルという存在ではありながらも、そうやって色々考えながら一人の人間として私と同じように生きてるんだったなぁって。だからこそ、絶対終わりはあるんだよな、とも。人間だからね、当たり前なのだけど。

 

ずーっと続くって思いがちじゃないですか。楽しいし、会いに行けばいつも変わらず可愛くて優しいその子がいて。また来てねって微笑んでくれるから、その「また」がいつまで持つのか、考えられなくなっちゃう。ジャニーズもよく言うよね「また来年愛し合おうね」とか「次会える日まで頑張って生きていくんだよ」とか。でも、またとか次とか、アイドルとファンである以上、私から出向かないともう無いんだよね。あっちからは来てくれない。私がもういいやって思ったら、そのアイドルとはそこで全てが終わっちゃう。

 

握手会には行かない主義の人、在宅でいくって決めている人、理由があって現場に行けない人、本当に色々あると思うから現場に通う人がえらいとは思わないけれど。思わないのだけど、でも終わりがあることを忘れちゃだめだし、その時に後悔しない楽しみ方をしたいなって思います。

どんな形でお別れが来ても、絶対に後悔はしてしまうはずだし、もっとこうできたのにとかもう少し会いに行けばとか、絶対思ってしまうのだけど、でも会える時に会いたいと思っているなら会いに行かなきゃって、あらためて感じた今日この頃です。

 

 

という話でした。